最近急に寒くなりましたね。先日、お昼にホテルの中華を食べに行ったのですが、その帰りにホテルの中に入っている洋服店であたたかそうなカーディガンを見つけました。とてもきれいな色だったのと、カシミアにしては安価だったので購入しました。丁寧にお手入れして着ようと思います!わーい!!

そうそう、昨日は用事があったので、少し遠くへ出かけました。到着後すこし時間があったので、スタバで休憩。ドリップコーヒーを頼むと、店員さんがその日のブレンドを教えてくれまして。昨日は東京ローストでした。その日の前日は、別店舗でナントカナントカブレンドを頂いていたのですが、東京の方が酸味が弱くて飲みやすさがありました。これが日本人好みということかな?

そして、コーヒーを飲みながら大学の勉強の予習をすることにしました。スマホからデータベースにアクセスできるので、大変便利。『予習ってことで勉強してきてね~』と配布されていた政治理論のPPTスライドを読みました。例によって、ギチギチに文字を詰めた読み物です。全部で150ページあるので、もはや本(笑)

私は一度読むだけでは理解できないので、三周くらい読んでいます。昨日読んだのはマルキシズムのあたり。その時に、『うわ~~~全部聞いたことあるやん~~知ってる~~~』と既習感に似たものを覚えました。なぜ???

それで、思い出しました。

以前、アメリカで修士を取った中華系の先輩が、在学中あるアイビーリーグの一校で開催されたイマニュエル・ウォーラーステインという米国の学者の指導生徒が登壇する、講座を聞きに行ったか何かで、その思い出話を熱っぽく語ってくれたことがありました。

その時私は高校三年の終わり頃だったので、従属理論や世界システム論などを嚙み砕いて説明されても、分かったような分からないような。彼からすると、自分にとって親和性の高いイデオロギーの話を、理論の提唱者に近い人から聞けた、という興奮があったようでした。

彼は何時間か懇切丁寧にその理論の説明をしてくれたのですが、結局「まぁ、大学入ったら勉強するか。今日はもうその話やめようか~」と彼がさじを投げた、思い出の?苦い?理論です(笑)

今ならそのわくわくがよくわかります。

教科書の中の人じゃん~!!みたいな(笑)そんな軽くないと思うけど。
学問自体の歴史が比較的浅いので、教科書に載っている方たちが現役、ということもあるある。流石に、古典の分野ではなかなか同じ時代に…ということは無いのですが、新興の理論のページではそういうことがままあります。

例えば、生まれた時代が違ったら、卑弥呼ってどんなお姫様だったんだろ~と抽象的な興味が先行しますが、同じ時代の人であれば「あのニュースも知っているはず」とか「あの映画みたかな?」などと、より身近に感じます。

たぶん、彼が共有したかったのは、その講座を受けることができた喜びだけではなく、教科書の中の人が単なる歴史上の人物ではなく、そこにいらっしゃっる、いらっしゃった生身の人間として思えたで!!という嬉しさだった、のかも。分からないけど。

まあ私の反応が思っていた以上に素っ気なくて、暖簾に腕押しって感じだったんだと思います。いやー、理解するのに二年半かかった。

既習感の正体が分かったので満足。おまたせ理解。